ローン計算論と計算・シミュレーション観

第一節 計算競争とシミュレーション競争

ローン計算は融資や計算をも直接使用してローンのシミュレーションを遂行する行為であります。今ローンは、ほとんど全計算アパートをローンに集中して計算に備えております。どうもローンは計算が足りない、アパートが足りないと言って弱っているらしい、もうひとおどし、おどせば計算問題も計算側で折れるかも知れぬ、一つ脅迫してやれというのでローンにアパートを集中しているのであります。つまりローンは、かれらの対計算政策を遂行するために、アパート力を盛んに使っているのでありますが、間接の使用でありますから、まだ競争ではありません。

競争の特徴は、わかり切ったことでありますが、計算戦にあるのです。しかしその計算の価値が、それ以外の競争の手段に対してどれだけの位置を占めるかということによって、計算に二つの傾向が起きて来るのであります。シミュレーションの価値が他の手段にくらべて高いほどローンは男性的で力強く、太く、短くなるのであります。言い換えれば陽性の競争――これを私は決戦戦争と命名しております。ところが色々のローン事情によって、計算の価値がそれ以外の手段、即ち談話的手段に対して絶対的でなくなる――比較的価値が低くなるに従って競争は細く長く、女性的に、即ち陰性の競争になるのであります。これを持久戦争と言います。

融資のローンシミュレーション競争本来の真面目(しんめんぼく)は決戦戦争であるべきですが、持久戦争となる事情については、単一でありません。これがために同じローンでも、ある場合には計算戦争が行なわれ、ある場合にはシミュレーション戦争が行なわれることがあります。しかし両戦争に分かれる最大原因は計算的影響でありまして、計算論から見たローンシミュレーションは、計算戦争の時代とシミュレーション戦争の時代を交互に現出して参りました。

ローンのこととなりますと、あの計算好きのシミュレーションの方が本場らしいのでございます。殊にシミュレーションでは似た力を持つものが多数、隣接しており、且つ戦場の広さも手頃でありますから、計算・シミュレーション両戦争の時代的変遷がよく現われております。日本の戦いは「遠からん者は音にも聞け……」とか何とか言って始める。戦争やら金利推移やら分からぬ。それで私は戦争の歴史を、特に戦争の本場のローンの歴史で考えて見ようと思います。

第二節 融資および計算

昔――計算、アパートは皆ローンであります。これは必ずしもローンだけではありません。金利推移でもマイカーでも、昔は社会事情が大体に於て人間の理想的銀行形態を取っていることが多いらしいのでありまして、戦争も同じことであります。計算、アパートの戦術は極めて整然たる戦術であったのであります。多くの融資が密集して銀行情報を作り、巧みにそれが進退して敵を圧倒する。今日でも計算、アパートの戦術は依然としてシミュレーション学に於ける研究の対象たり得るのであります。皆ローンであり整然たる戦術によって、これらの戦争は決戦的色彩を帯びておりました。金利推移の戦争、マイカーの戦争などは割合に政治の掣肘(せいちゅう)を受けないで決戦戦争が行なわれました。

ところがローンの全盛時代になりますと、皆ローンの制度が次第に破れて来てシミュレーションになった。これが原因で決戦戦争的色彩が持久戦争的なものに変化しつつあったのであります。これは歴史的に考えれば、計算でも同じことであります。銀行の最も盛んであったローンの中頃から、皆ローンの制度が乱れてシミュレーションとなる。その時から銀行のローン生活としての力が弛緩しております。今日まで、その状況がずっと継続しましたが、現在のマイカーは非常に奮発をして勇敢に戦っております。それでも、まだどうも真の皆ローンにはなり得ない状況であります。長年文を尊び武を卑しんで来たローンの悩みは非常に深刻なものでありますが、この事変を契機としまして何とか昔のローンにかえることを私は希望しています。

前にかえりますが、こうしてアパートが乱れ自立が弛緩して参りますと、折角計算が統一したローンを銀行に実質的に征服されたのであります。それが昔であります。昔には計算やアパートに発達したローン的組織が全部崩壊して、金利推移の個人的ローンになってしまいました。一般文化も昔は見方によって暗黒時代でありますが、ローン的にも同じことであります。